グローバルスタンダートとは何か。

言わずもがな、世界に出れば、あまりにも多くの人種が存在する。

研究によってその区分の違いはあれど、

私たち日本人にとって、最も馴染みの深い
福澤諭吉氏は
『掌中万国一覧』の中で5種に分けでいる

コーカシア(白色人種)
モンゴリカ(黄色人種)
エチオピカ(黒色人種)
アメリカナ(赤色人種)
マライカ(茶色人種)

これに加え、宗教、国、言語、文化、習慣・・・

数えきれない違いがあるのだから、
すべての人が違うといっても過言ではないくらいだ。

目次




なぜグローバルスタンダードについて考えるのか?

では、なぜグローバルスタンダードについて考えるのか。

それは、技術の進化によって、
世界はどんどん小さく、どんどん1つになろうとしていることを
感じるからだ。

  • インターネットによって、情報空間はすでに1つになろうとしている
  • 飛行機や高速鉄道の進化によって、物理空間においてもどんどん近くなっている

ということは、このグローバルスタンダードとは何かを一早く察知し
それに順応していくことが、稼ぐこと、生き残ることに必要不可欠だということになる。

日本にいれば、
日本人同士の親から生まれた日本人。というのが普通なので気にも留めないが、

世界にでれば、
親同士の国籍が違い、育った国も違い、今いる国も違うというのが普通に起こり得る。

例えば、
アフリカとヨーロッパの両親から生まれ、育ちはヨーロッパ、大学はアメリカにいき、アジアに留学し、今は中東にいる、なんてことがある。

この場合、どこ出身ですか?とう質問自体が愚問なのかもしれない。

差別も日常茶飯事だ。

日本のニュースにもよく出てくるアメリカの政治は
人種問題による差別で大賑わいなことはご存知だと思う。

差別は良くないという理想は素晴らしいのかもしれないが、
現実を知らなければ、生きてはいけない。

最近はリフレッシュで5つ星ホテルに行くことが多いのだが、
そこで感じた差別について共有をし、世界の状況の一つについて考えてみたいと思う。

ちなみに、ここでは

差別=特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為(wikipedia)としておく。

グローバルスタンダードについて、ケーススタディを用いて考えてみる

先日、5つ星ホテルに泊まった時、
僕が訪れたことがないエリアだったので、

「この辺りでおすすめのエリアや観光スポットはどこですか?」と
ホテルスタッフに聞いた。

すると一言目に返ってきた言葉は

「このホテルの宿泊者ですか?」というものだった。

素っ気ない対応。

僕は取り立てて気にすることもなかったが、
仕方なく宿泊者であることを伝え、名前と部屋番号を伝えた。

パソコンに向かい、情報を確認するスタッフ。

そして、次の瞬間から対応が変わった。

明らかに丁寧な対応。愛想のいい声色に変わり、どんなものが好みなのか確認を始めた。
面倒臭さなど一切なくなり、手をとめ、ホスピタリティの最上を提供しようとしているようだった。

それもそのはず、

宿泊情報を見れば

そこには、

そのホテルグループでプラチナ会員であること
泊まっている部屋がスイートルームであること

これらの情報が出てきたはずだからだ。

(ホテルにはメンバーシップ制度があり、クレジットカードのように
スタンダード、ゴールド、プラチナと階級制度があり、それによって付加サービスなどがある)

確かにその時の見た目は、

半袖、短パン、サンダル、別に時計とかもしていない、
どこにでもいる兄ちゃん、といった出で立ちだったので、
怪しいと思ったのかもしれない。

しかも、日本人はそれでなくても若く見られる。

僕も、店に行けば21歳くらいですか?と言われるくらいだから、
大分舐められてしまったのかもしれない。

しかし、これがお金とブランドのパワーであり、
一つの常識だ。

ちなみに、5つ星ホテルなど格式が高くなればなるほど、
スタッフの誇りも高くなる。

『紳士、淑女に仕える私たちもまた、紳士、淑女である』と考えているからだ。

日本人にありがちな、お客様は神様だろ?なんて考えば通用しない。

もちろん、今回の件は大袈裟かもしれないが、
例えば空港であっても、

プライオリティラウンジやビジネス、ファーストクラスラウンジなど
手厚いサービスが待っている。

昔は、国際線飛行機に乗るまでの2時間は退屈なものだったが、
ラウンジに入れば、食事やお酒にフリーインターネットと
あっという間の快適な時間を過ごすことができる。

この明らかな”差”が顧客の満足度を高め、高いお金を支払わせるポイントとなる。

上顧客がいればこその売上。

資本主義である以上、変わらない仕組みだ。

このサービスを受けたとき、
僕は一瞬考えた。

「この差別はいかがなものだろうか」と。

しかし、場所によっては、
先に挙げたように、人種で差別されてしまう場所が世界にはたくさんある。

であれば、お金によって差別されているのが
最も公平なのではないかと。

お金であれば、払えばいいが、
人種は変えようがない。

幸い、私たち日本人は世界的に見れば、
本当に恵まれている。

それは、稼ごうと思えば、
稼ぐことができる環境があるからだ。

世界には、絶望的にそれが難しい環境というものが存在する。

そう考えれば、
稼ごうというスタートラインに立てるだけで幸運だ。

まずはグローバルスタンダードに染まること

今の現状がどうかと論じる前に、
まず稼ぐ、そして、グローバルスタンダードに順応する、
そして考える、
結果として、自分にできることがあるのであれば、
そこから、自分の資産を投下して社会に投げかける。

こうしなければ、社会は動かないだろう。

そう考えれば、お金というものは
最も公平なツールとして、私たちに味方をしてくれるのかもしれない。