もっとも憧れる生活はどんなものだろう?

  • 広い家やハイブランドの車や時計
  • 美女に囲まれた生活
  • 周りからの羨望の目

いや、違う。

もっとも憧れる生活は隠遁(いんとん)生活である。

心落ち着いた場所に行き、自分と向き合う。

そんな生活であり、
人として、もっとも満たされた状態ではないかと考えている。

目次




隠遁生活は昔から日本人の憧れの生活であった

調べたところ、昔から日本では隠遁生活は憧れの生活であったようだ。

日常の喧騒から離れ、
自らの道を追求する。

例えば、戦国時代の権力者も、茶の道に生きる糧を求めたようだ。

茶の道は、城にあって、その本堂ではなく、
離れに存在した。

金や権力を手に入れても、満たされなかったものが
そこにあったのだろう。

昔から、人の心は変わっていない。

現代流の隠遁生活

時代は流れ、今。

仮想通貨やら、YouTuberやら
一攫千金を成そうとする人々の心は変わらないし、

お金や権力のために、私生活や家族との時間を犠牲にして
仕事を朝から晩まで、さらには休日も犠牲にしてしまう人も多くいるが、

今こそ、私たちは、隠遁生活によって、
自らの心を取り戻すことに、

安らぎや幸せがあることを考えて見る必要があるのではないか

私はそう思い、
この題材について、筆をとることにした。

現に、断捨離やシンプルライフという言葉で
日本にもその生活やあり方が見直されているようだ。

しかし、その本質をつかめなければ、
また一過性のブームとして過ぎ去ってしまうだろう。

私は貧しいことが良いこととは考えていないし、
貧しいからこそ得られる幸せがあるとも考えていない。

それは、本質が見えていない商売人のポジショントークであり、
本来の姿からはかけ離れてしまう。

なので、隠遁生活について
それをオススメする前に

隠遁生活に少し噛み砕いてみたいと思う。

もちろん、現代流の実現可能な隠遁生活をするためである。

隠遁生活を噛み砕いて理解する

隠遁を辞書で調べると、

((俗世間を逃れて隠れ住むこと))

と出てくる。

俗世間とは

((一般の人々が日常の暮らしをしているこの世))

ということである。

((求道・修行に無関心な世俗の世界))

と認識したほうがわかりやすいか。

少し大げさに
自分の技術や精神を磨くことを忘れた『欲望にまみれた世界』と定義してみよう。

この欲望にはきりがない。

戦国武将は天下統一を目指した。
天下統一のあとは世界統一とでも言う気だろうか。

お金も権力もとどまるところを知らない。

そして、一度手に入れたら、それを維持することにとらわれ、
一生を欲望の奴隷として過ごすことになる。

だからこそ、
この欲望を捨て、自らの道を追求することだけに目を向けることが
心の安定の道だと私は考えた。

しかし、欲望を捨てることはなかなか難しい。

羨望の目や、憧れの的になること。
お金に権力、こうしたものを捨てることができないのは、
自らの見栄やプライドからくるものだろうか。

だからこそ、無理をせずに捨てるために選ぶ道が
隠遁生活で得られるメリットなのではないかと考えた。

他人がいなければ、見栄やプライドは生まれない。

誰かが儲かった、誰かが運がいい、
誰かが絶世の美男(美女)だ、

そんな情報が入ってこなければ、
見栄やプライドとは別世界にいくことができる。

誰かの成功が妬ましく、
誰かの失敗が喜びとなってしまうような
現世(いつの世もそうなのだろう)から離れられるのである。

現代に置ける隠遁生活は、
ただ単に、山奥に暮らすといったようなことではなく、
(もちろん可能であれば、自然の多い場所に移り住むのは良い)

情報を遮断して
自ら探索者として、この世の真理を掴む精神の旅をすることにある。

仕事をしている人も、
上司や取引先の奴隷になるのではなく、

あえて残業などしないで、時間を確保して、「自分と向き合う時間」を取ってみることである。

それによって、昇進できなかったとしても、
ちょっとくらいの昇給がなかったとしても、
何が問題だろうか。

その昇給のための犠牲は、
死ぬときに必要だったと思えるものだろうか。

私はそのように考えている。

実際に私が隠遁生活をしてみて思ったこと、失敗したこと、課題

ここからは私ごとで申し訳ないが、
私が始めた隠遁生活について振り返りをしてみたい。

私は一年前、自ら隠遁生活を始めた。

しかし、実は途中忘れてしまった。
それは、孤独が寂しいというデメリットが生み出したものだ。

寂しさのなかで、
俗世へ身を戻してしまったのである。

例えば、良くない出歩き方や、
人付き合いやお金の使い方をしてしまった。

隠遁生活が幸福の道だとわかっていて、なぜそれをできないのかと考えれば
それは孤独に耐えることが出来ないからである。

かのブッダでさえ、悟りを開く前には
様々な誘惑にかられたというし、

修行を積んだ高僧でさえ、
日々の生活を見直していかないと、
いつの間にか俗世に戻ってしまうと言う。

私も懺悔の気持ちではあるが、
改めて隠遁生活の意味を考え、それを選択する道を選んだので、
とても大層なことを言える立場ではないのだが、

心の安定と、死を迎えるときに
やり残したことのない人生を送るために、
隠遁生活の実践を進めていきたいと思う。

ちなみに、私は今でも投資家である。
なので、もちろん資本社会への参加をしているのだが、

いくら稼いだ、という喜びではなく、
人間社会の仕組み、成り立ち、本質を追求していく姿勢をとっていくということである。

だから、投資で稼いで、高価なものを買いたいという欲はない。
あるのは、家も、服も、清潔で快適なものを整えながら行きていきたいという姿勢だけである。

誰かにこの隠遁生活を押し付ける気はない。

ただ、もし今の生活に疑問を感じたり、情報に振り回されて疲れてしまっているのなら、
私が選んだ生活の一部でも参考になれば幸いである。

幸福は、外にではなく、自分の内側にある。

そんな道の追求である。