完璧主義は失敗する。なのになぜ完璧を目指してしまうのかについて
考えてみたいと思う。

目次




完璧を求めてしまうには理由があるに違いない

私たちはつい完璧な状態を求めてしまう。

  • ダイエットのために毎日走ろう
  • 英語をマスターするために毎日勉強をしよう
  • 仕事で成果を残すために朝早く出社しよう

目標を立てるのはいいが、
これらが継続する人はほとんどいない。

それが例えばダイエットだけ、仕事だけ、という人ならまだいるが、
全てのことに完璧になれる人は、ほとんどお目にかかったことはない。

完璧主義はダメだ。
完璧など存在しないのだから、完璧はやめよう。

こう言われたり、考えたりしたことは
あなたの人生で一度や二度ではないだろう。

けれども、気づくと完璧を目指している。

これには、何か理由があると考える方が賢明だ。

人は完璧になるようにプログラムされている

私は、この完璧を求めるというのは、
人に組み込まれたプログラムだと考えている。

いや、人だけでなく、生命全てに組み込まれたプログラムだ。

生命は全て完璧になるように仕向けられているという仮説だ。

完璧な状態というのは、
全てが一つになる状態=神になる(概念として)
ということは、先日お話した
僕は「幸せ」とは何かについて答えがわかった。あなたは?
の通りだ。

1つの情報空間において、
世の中の全ての情報を得ている状態=完璧な状態

この前提を元に話を進めていく。

私たちは常に進化をしている(=退化をしているわけではない)と過呈すると、
進化の終着点は一つになることだ。

私たちが目指している場所が「完璧な状態」だとすると、
完璧を目指さなければいけないというプログラム(=そうするように仕向けれられているもの)
が組み込まれていなければ、この終着点にはたどり着けないということになる。

もしそうであるとすれば、
私たちが完璧を目指す理由はわかる。

しかし、その完璧な状態は、一人で成し遂げるものではないということも
先日お話した内容の通りだ。

お互いがお互いの不足分を補い、
専門性をシェアし合う。
そして完璧な1つになっていくのがゴールである。

一人で完璧になるルールではない。

こう考えれば、
私たちが完璧になれないのも無理はない。

それはプログラムのルールに反しているからである。

ルールには逆らえない。
逆らおうとすれば鬱や病気など、望まない結果を生んでしまう。

現時点で完璧になれない私たちがやること

ここで、一番最初の目標の話に戻ろう。

あなたが立てた目標は本当にあなた自身が成し遂げたいと思ったものだっただろうか?

痩せていた方がいい、英語ができた方が有利など、
他人に刷り込まれて自分が思ったように仕込まれた目標だったのではないか?

仕事に関しては、全ての「やりたい!」優先順位の1番のものだっただろうか?

そもそもどうしてもやりたいものであれば、
ほっといても勝手にやるものである。
やりたいのだから。

続かないということは、どこかでやりたくない事だからに他ならない。

完璧な状態というのは、お互いがお互いを補うことによって成し遂げるものだ。

だから、あなたはあなたがやりたいことを追求し、
誰よりもその事で詳しくなる事だ

それが、現時点に置ける全体の中でのあなたの役割だ。

この話を宗教的と考える人もいるかもしれないし、
生物学だという人もいるかもしれないし、
科学だという人もいるかもしれない。

しかし、私はこれらは全て同じところに向かっていると考えている。

この”1つ”を証明、実現するために、それぞれの分野があるのだろう。

それぞれの専門性を持って、
不足している知識を補いながら、より臨場感のある世界観を作っていきたい。

あなたの専門分野から見て、どのように説明できるだろうか?
お知恵を拝借できれば幸いだ。

宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。

アルベルト・アインシュタイン

ちなみに私は、マーケティングの専門家である。
売上をどのように作るのか、どのように上げるのかについて追求してきた。
すると、人間の心理や集合的無意識など世の中の流れやパターンを感じ取ることが不可欠になった。
そこから、他の学問につながっていったのだ。
この辺りは、また別の機会にお話したいと思う。

https://www.facebook.com/takayauekusa
成功の法則
植草貴哉(うえくさたかや)