人は誰でも
本当の自分を見つけたいと思うだろう。
本当の自分と言われてもピンとこない方もいると思うが、
僕は
「自分が生きているだけで気持ちいい状態=楽しい」として
これを
– 本来の自分 –
と位置付けている。
目次
普通に生活をしていたら、本当の自分は見つからない
ただ、実はこの自分なりの感覚を見つけるのは
結構大変だ。
サラリーマン時代には
僕は見つけることができなかった。
それは、
『これぞ優秀なビジネスマン』という
フレームにハマってしまっていたからだ。
当時の僕は、
優秀なビジネスマンになるべく、
たくさんの本を読み、学び、そこを目指していた。
けれど、学べば学ぶほど、
自分らしさとは遠ざかっていたように感じる。
独立をし、
環境を意識的に変え、
今までとは違ったことをするようになって
初めて自分らしさについて気づくようになったのだ。
一つ注意したいのは
この本来の自分というのは、
なにもお金をたくさん稼いでいるときに感じられるものではない。
僕自身の経験として、
お金をたくさん稼いでいても
「これは本当の自分ではないな」
と感覚的に思うことはあるし、
お金をそんなに稼いでいなくても
「この状態は自分らしいから好きだ」
となって、未来への希望や楽しみしか見えなくなることもある。
普段とは違う環境が”自分らしさ”に気づかせてくれる
繰り返しになるが、自分らしさを見つけるには
『普段とは違う環境に自分を置くこと』
これをすることによってしか見つけることは難しい。
いつも通りの毎日を送っているだけでは、
気づくことができないからだ。
思考回路を変えなければ見つからないのだが、
それは、環境によってでしか
本当の意味では変えられない。
何百冊の本を読んでも、変わらない。
本はたくさん読んだ方がいいのだが、
本を読むのは”点”をつくる作業
点と点を結んで”線”にするのは、
異常な体験で作るものだ。
普段から本を読んだり知識をつけておけば、
体験したときに線となる濃さや太さ、広がりが変わると思っておくと
わかりやすいだろう。
そうして、異常な経験を重ねて行くと、
”自分らしさ=自分が気持ちいい状態”を見つけることができる。
人によって違う”自分らしさ”
例えば僕であれば、
全てをビジネスで考えることがもっとも心地よい状態だ。
- ネゴシエーション(交渉)
- カンバセーション(会話)
- プランニング(企画)
- ディール(売買)
- メリット&デメリット
- トレードオフ、、、
別にビジネスだけでなくて、
プライベートなことでも(恋愛でも友人としての人間関係でも)
ビジネスで使うことを応用していくのが
とても楽しいのだ。
それは決してビジネスライクということではない。
ビジネスには感情がとても重要なのだから、
無機質ということとはかけ離れている。
冷たいとか疲れそうと思う人もいるかもしれないが、
それが僕にとっては最高に気持ちいい状態なのだ。
それが、
- アイデンティティ(自己同一性)
- コンフィデンス(自信)
など自我を確立させているのである。
自分らしさを発見した例
例えば、
ここフィリピンにおいても、
僕がビジネス思考をしているときが一番楽しいことを
気づかせてくれる。
フィリピンでは
タクシーでも飲み屋でも、
常に高い請求をして一円でも多く取ろうとしてくるし(笑)
街を歩けば、お金をせびってくる人やものを売ろうとしてくる人がいる。
値段としては、
日本基準で考えれば超高いというわけではないが、
やはりこちらとしても
交渉をしっかりとして、適正価格に持っていくのは
当然のことだ。
ただ、別に喧嘩をしているとかではなく、
それが一つのコミュニケーションとしたらとても楽しいということだ。
これは何も海外に限ったことではない。
質の高い世界に行けば、
何も手土産を持たずに人に会うのは失礼だし、
そんなことをしていれば、
相手は自分と会ってくれなくなる。
手土産というのは、
「相手にメリットのある情報」という意味だ。
これも、ビジネス思考の応用だ。
お互いが高いレベル(同じレベル)だから
お互いが心地よいということである。
自分らしい
トーク、感情、長所、特徴・・・
こうしていけば、自然と自分らしさが見つかるし、作られていく。
日本のムラ(村)社会は「普通でない」を許さない
僕も気づけば、
10代の頃から、この思考を作り上げてきたし
思考が自分自身を作り上げてきた。
もちろん世間的に言えば
褒められたものばかりではないかもしれないが、
いざという時の丹力や
冷静さというところではなかなか負けない自信がある。
みなさんの中でも、
本当の自分を見つけたいという方は、
今の環境から抜け出して、
いろいろな気づきとともに
自分変革を進めていってほしい。
世の中は、特に日本は
僕たちを型にはめて”普通の人”にしようとする
テレビを見ていても、
会社が学校にいっても、
特異なものを排除しようとする。
ムラ(村)社会として、
農耕民族として成り立ってきた国民性もあるのかもしれない。
しかし、
高度にグローバル化していく社会において
価値観が多様になるにもかかわらず、
それを許さない環境は、非常にバランスが悪い。
ムラの掟にしたがって普通になってしまう自分は
結局何をしたいかわからない人だ。
常識を捨て、
自分らしい一歩を踏み出そう。
自分らしくいることは、
生きているだけで楽しいものだ。
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