世界で認められる男になりたい。
それは、別に大きな世界じゃなくていい。

自分のまわりにある、小さな世界でいいのだ。




ドバイに来て思ったこと

ドバイに来て、思ったこと。
それは、日本という力が働かない世界で、認められるには
結構大変なんじゃないかということ。

例えば、アジア圏
中国、香港、シンガポール、さらにはフィリピン、タイマレーシア、ベトナム、台湾など
こういった国に行くと、日本人は少し歴史のアドバンテージがある。

日本人はお金を持っている。
だから良くして、お金を落としてもらおう。

こんな歴史的風潮から、
街の人が日本語をちょっと知っていたり、
なんとなく会話が通じたりする。

少なくとも、(政治的問題が発生している時でなければ)嫌煙されることは少ない。

しかし、アジアとはまったく違うドバイにて、
これらは全く作用しない。

日本人も全然いないので、当然日本について知る由もなく、
レクサス、トヨタ、日産、ホンダなどの車や(自動車は日本車がよく走っている)
ソニーやニコンのようなデジタル家電が壊れにくいくらいしか知識はない。

普通に生活している人は、これくらいしか知らないように感じる。

これが何を示しているのか、
そう、日本人はアドバンテージがないということになる。

さらに、ヨーロッパからの文化が強く、
アラブの富豪とヨーロッパの富豪がコントロールしている環境化では、
日本人が入り込む余地がない。

女性からの対応一つとっても、
日本人はモテない。
(モテないって、認められてないってこと)

人種差別の話をしても仕方ない。
こういったことは分かりきっていることで、
今さら特段どうこうという話ではない。

もともとのプライドはあるだろうし、
特にドバイに来ている人(僕が泊まったようなホテルにいる人)は
その国においてもある程度お金を持っている人なのだ。

これは、その人が恵まれた環境化にあることを示しており、
女性で、かつ綺麗であれば尚更、本国でも良いように扱われてきたというわけである。

このプライドを満たし、
自分が認められるには、相当高いハードルがあるように感じた。

しかし、
あろうことか認めさせたいと思ってしまった。

もちろん、世界中の美しい女性だけでなく、
この国に、この世界に。

大きな話に聞こえるかもしれないが、
そんなことはない。

自分が生きている目の前の現実でさえ、
自分の至らなさを感じる。

だからこそ、
このハードルを乗り越えてみたいと感じているのだ。

ドバイに来たことは最高だった

下を見ている場合ではない、
上には上がいて、しかもそれは天井知らずで、今の自分にはその天井がどんなものなのかさえ理解が出来ず、しどろもどろしている。

目の前にいる人は、
この1秒間に何億円動かしているのだろうか?

この人の頭の中には、
どれほどの知識が詰まっており、どんな世界が見えているのだろうか?

わくわくと、自分がそこに近づきたい気持ちでいっぱいだ。

もしこの目の前にある世界に認められる日がくるとしたら、
自分はどれだけ成長できているのだろうか?

いや、認められる男になることが
自分の生きる道なのだ。

昔、小説で見た世界。
日本の男が世界を揺るがし、闊歩する姿。

憧れは夢となり、努力したものだけ現実となる。

今は、憧れが現実の夢になったことを祝いたい。

夢になった瞬間、もう叶っているのだから。

PS.
こうして自分が思ったことを脈絡なく文章にしてみると、
自分が日本人であることをこんなにも感じていることに驚いた。

きっと、この地から受けるアウェーなフィードバックを
知らぬ間に受けていたのだろう。

嫌がおうにも、そう見られるのであれば、
いっそ誇りとして勝負したい。