……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。
女優、著作家:ファニー・ケンブル
先日、成功をすることは、大衆とは違う人間になることだというコラムを書いたところ、
本当に多くの人からメッセージをいただいた。
衝撃的かつ刺激的な内容に、
各々が深く考え、自分のあり方を考えされたということだ。
人は、自分の許容範囲を超えたとき、
畏敬の念や、反対に反発心が生まれる。
深く考えて頂けたということでは、
有意義な情報を提供できたのではないかと思っている。
大衆
ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけがあると考え、義務を負っているとは考えもしない人哲学者:ホセ・オルテガ・イ・ガセット
このように定義した。
ここで重要視したいことは、
高貴なる者の話にも、
大衆の定義にも“義務”という言葉が出てきており、
全く反対であるという点である。
ノブレス・オブリージュ
高貴なる者の存続には((財産、権力、社会的地位の保持)責任が伴うことを指した言葉であるが、簡単に言うと、義務を負っているということである。
かたや、大衆は義務を負っていると考えない人としている。
この“義務”というのが、
大きく隔てるポイントであるのは明白だ。
では、ここでいう“義務”とは何だろうか?
義務
ことばの意味としては「従うべきとされること」と定義されている。
しかし、理性、道徳、倫理、宗教、法制度、慣習と
義務が包括する範囲は広い。
なので、ここでは、
社会的義務を軸として話を進めていきたいと思う。
社会的義務とは、
自分が属する身分・地位・職業・地域・組織などに応じた、
継続的・非継続的な社会関係に応じて認められうる
「従うべきとされること」である。
この義務に“高貴なるもの”という言葉がつくと
富裕層、有名人、権力者が「社会の模範となるように振る舞うべき」義務というように言える。
社会の模倣とは何であろうか。
ここからは、その人間が置かれた立ち位置によって、
正義や理想が異なるため、
『その人間が考える社会』の模倣となるので解釈がゆだねられるので、
明確な答えはない。
では、これから成功しようという人は、
この言葉をどのように受け止めればよいのだろうか。
ここで考えられることが、
『その人間が考える社会=理想』ということだ。
自身が成功したいのであれば、
その理想のためにとられる義務を背負うべきだと
解釈することができると考えている。
それが、義務である。
ノブレス・オブリージュの言葉自体は、
理想論の話だ。
世の中の現実のすべてではない。
そのように世界が回っていないことは重々承知であるが、
理想や理念がなくなっては、行動指針がなくなってしまうのと一緒だ。
行動指針がなければ、
大義は果たされない。
ということは
成功するにあたって、自己が背負うべき義務を把握し、
定義し、遂行することが成功する人間と決意するのに必要だと
僕は考えた。
義務が理念となり、
自分が行動する核となる。
その核を作り上げることが、
自分という生き方に強さをもたらすものであることは実証している。
であれば、
核を作るために思考をしなければならない。
核を確固たるものに変え、折れない自信としなければ勝てない。
そのための思考をする必要がある。
僕にとって、成功するとはそういうことである。
もちろん、理想を追求するのだから、
その理想を追い求めるためのリスクを背負う義務も生じているというのは言うまでもない。
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