好きなことを仕事にするべきか、という長年議論されてきた議題に対して、
僕は圧倒的にYESという立場を取っている。
目次
好きなことを仕事にしている人には勝てない
僕は、心理学をはじめとした
人の行動や心境、およびそれらをビジネスに活用したマーケティングに興味を持ち、
成功体験としてその道で生きていく術を掴んだ。
世の中には「好きなことを仕事にした瞬間に好きじゃなくなる」という意見があるようだが、その程度の好きならやめた方がいいし、
もしかしたら好きという定義、もしくは認識がが間違えていると考えている。
例えば、
ミュージシャンなら、売れようが売れまいが音楽を作り続けたいだろうし、
スポーツ選手なら、誰よりもその競技を上手くやりたいと思うだろうし、
経営者なら、高い目標を達成したいと思うだろう。
もしかしたら、極めていく段階で、
その対象物を嫌いになりかけて、
もう触れたくないとまで思ってしまうこともあるだろうが、
最終的にはその対象に戻ってくる。
そうしていくうちに、
少しずつそこのことが上手くなってきて、
オリジナリティや上手くやるコツを掴み、成功するのだと思っている。
最終的には、
その対象を「好き」な人間には勝てない。
上に行けば行くほど、
それを思い知らされる。
今日は、
この「好きなことを仕事にする」ということについて、その理由や
やっぱり好きなことを仕事にするべきだ、ということについて深めていきたいと思う。
好きなことを仕事にした方がいいのか?
なぜ好きなことを仕事にした方がいいのかという疑問に対して、
「楽しいから」
という回答はシンプルで的を得ているようだが、
そうとも言い切れない。
好きなことを仕事にしたとしても、
毎日飛び上がるほどワクワクした気持ちで目覚めるかといえば、
そんなことはあるはずなく、
毎日が努力と葛藤の日々になることは間違いない。
自己啓発書で
毎日をワクワク生きるとあるが、
半分本当で、半分はパフォーマンスだ。
気持ちの持ちようは、
毎日ワクワクできるように、
プラスに捉えていくことは大きな結果に結びつけてくれる
とても大切なものであることは否定のしようがないが、
それと、毎日がワクワクということは
ノットイコールだ。
毎日自分の成長を確認できることなどなく、
成果を生み出すのには、長い時間と根気を必要とする。
自分のパフォーマンスに満足できないことも多く、
知りすぎてしまったがゆえに、幻滅することもある。
例えば、
マーケティングを知りすぎると、
人間に対する理想は
ことごとく崩壊する。
- 品行方正
- 清廉潔白
- 社会的意義
こんなものはどこ吹く風、
欲望と嫉妬に囚われた
人間の汚い部分と正面衝突することになる。
そこには理想や長期的ビジョンなどなく、
目の前の現実の快楽のみを追求する浅ましさが蔓延しており、
まるでカオス(混沌)だと感じることさえある。
もし自分がそのブラックホールに飲み込まれてしまうようなことがあれば、
一生抜け出せない蟻地獄に身を投じることになる。
もがけばもがくほど、
人の欲望の渦に飲み込まれていく。
人に理想をもち、
より良い世界の実現を目指して、
他人によりよい生活を送って欲しいと志したマーケターが
この現実に対面したらどうなるか、
賢い方なら想像ができるだろう。
精神が崩壊してもおかしくない衝撃を受けるはずだ。
これでも、
当初思い続けた「好き」を維持できるだろうか?
好きなことを極める過程で、見たくないものも見えてしまう
好きなことを仕事にするということは、
好きなことを極めるということである。
極めるということは、
その過程において、
普通の人は見ることのない世界を経験していくことにある。
前述したように、
マーケティングを極めようと思えば、
人間についてこれほどまでに考えることはないのかもしれない。
知らぬが仏。
知らない方が幸せなことは実際にはある。
極めるということは、
それに伴うリスクを背負うことになるということだ。
例えば、パフォーマンスをする人間であれば、
毎日のハードトレーニングによって、
一生の障害を負うことになる可能性がある。
首やひじを痛めて、一生その痛みと付き合っていくことになるかもしれない。
大勢の観客を前に、
プレッシャーで寝れない日々を過ごすこともあるかもしれない。
TOPを走り続けるということは、
TOPでなくなった瞬間に、
仕事を失うというリスクと、常に隣り合わせだ。
日本では、
プロ野球選手が、プロでなくなった瞬間に
生活が一変して、惨めな生活になってしまったというようなテレビ番組があるだろう。
そういったものを見るたびに、
好きなことを仕事にして極めていく恐怖を、
国民に与えるものだ。
起業家も同じだ。
一時的に成功した後、
一変して大失敗をした例を取り上げ
無意識の抑制をかける。
挑戦しなければ味わうことがなかった絶望を
感じなければならない。
それであれば、
「無難に平穏な日々を過ごした方がいい」とでも言っているようだ。
好きなことを仕事にするリスクは大きい。
それでも、好きなことを仕事にした方がいいと言えるのかと問われれば、
私は
「それでも好きなことを仕事にした方がいい」と言える。
なぜならば、
好きなことをすることだけが、
本当の幸せを手に入れる選択であると考えるし、
そうしなければ見えない世界があることを教えてくれるからだ。
好きなことを仕事にするという本題を伝えるまでに、
好きでないことで頂点までに上り続ける人を見てみようと思う。
好きでないことを仕事にして頂点をとる人の例
例えば、
年収が2000万も3000万もある人がいる。
しかし、この人は好きなことをしていない場合、
常に妥協と生きていかなければならない。
家族のため、今の生活を維持するため、
一度上がってしまった生活水準と自分のプライドを守るため、
時間という自分の最大の資産を
好きでもないことにすべて捧げる。
これを奴隷と呼ばずして、なんと呼ぶだろうか。
そうやって手に入れたお金も、美人な彼女も
あなたを幸せにしてくれるものではない。
さらには、
好きでもないのに頂点を極めることは
単なる苦痛と隣り合わせだ。
自己洗脳の上に、さらに洗脳を重ね、
感覚を麻痺させるまでレールを敷かれた人生を生きるために強化された脳にならなければ到底やっていけないだろう。
そうした人間との会話は
- 自分がいかにすごい人間か
- 自分がいかにブランド(車や家や時計やファッション)を所有しているか
- 自分がいかにモテるか
- 自分がいかに権力を所有しているか
そういう思考に囚われているように感じる。
少し極論であることは私も自認しているが、
キャバクラや後輩に対して、自慢話や武勇伝ばかりしてしまう人を知るたびに
現実世界で抑え込まれたストレスが半端ないと分析している。
たとえ成功したように
こうした人間を幸せと呼べるだろうか?
僕には、それが幸せな状態だとは思えない。
逆に、上記のような状況において、好きなことをしている人間は、
自分が興味があることを朝から晩までずっと話している。
好きなことを仕事にする理由と幸福感
好きなことを仕事にする理由は
最終的に戻れる、自分の特徴を持っておくことで、
- こだわりや高い満足感を得ることができること
- それによって、圧倒的成果を出せる可能性が高まること
- 何よりも、その成果までの過程を楽しむことができることにある と考える
前述において、好きなことのリスクは伝えているが、
それでも好きなことをしている時間というのは満足度の高いものだ。
一時的にでも深くハマることができれば、
それはとても楽しい時間であることは間違いないし、
それによって、人よりも抜きんでることがあれば
自己満足感もある。
自己肯定は人生においてとても重要であり、
世間ではこれを小さな成功体験による自信の増加ともいわれるが、
この小さな成功体験の積み重ねが、大きな成功体験につながっているのは真実だ。
楽しい!
やった!
あれ、うまくいかないぞ?
ここはこうして、ああして・・・
出来た!
この感覚の積み重ねが、幸せな成功へと導いてくれるし、
ビジネスの世界では「トヨタ式カイゼン」と言われているものであるし、
誰だって最初は好きなことでの、こうした思いこそがファーストステップであることは間違いない。
好きなことをしたからと言って、
ビジネスではすぐに上手くいくわけではないし、
上手くいっていても、ずっとそれが続くわけではない。
ただ、本来は、上手くいかないときにこそ「好きであることが自分を助けてくれる」ものであるはずだ。
稼げない時、上手くいかない時こそ、好きであることが自分を助けてくれる
たとえば、
僕は、稼げるというだけで、その仕事を進めることはない。
世の中には
・せどりで儲ける
・FXや投資で儲ける
・ライティングで儲ける など
いろいろな儲け話があり、
実際儲けることができるのかもしれないが、
あなたがそれを好きでないのなら、やるべきではない。
それは、必ず「儲けることができない時期」は訪れるものだし、
その時に「好き」でないものは、あなたを救ってはくれないからだ。
例えば、あなたが儲けたいと思ってせどりを始めたとしよう。
・人に言われたものを仕入れて、それを売る
実は、儲かっている時というのは、
別に何をしていても面白いと思えるものだ。
儲かっている時は
自分にはせどりの才能があったと思えるし、
もっと早く出会いたかったと思うかもしれない。
しかし、売上が大きくなるということは、
所有する在庫が多くなるということだ。
いつの間にか家には在庫がたくさんある状態になる。
売れているうちはいい。
どんどん回転するし、大丈夫だと安心しているからだ。
しかし、優位性がなくなり、
売れなくなったとしよう。
日に日に増す不安、売れない在庫という負債、
そんな時、あなたはその在庫の山を見てなんと思うだろうか?
おそらく、その在庫が憎たらしくて仕方ないに違いない。
しかし、もともと売上よりも、
好きなものを仕入れたり、作っている人間はどうだろう?
その在庫を見ても、憎たらしいとは思わない。
自分が愛着を持っているアイテムを目の前にして、
何とかしてこの素晴らしさを伝えたいと思うはずだ。
そこで、創意工夫を重ねるうちに
また波が来て、大きなブレイクスルーを生んだりするものである。
【諦めるという選択肢が存在しない】
これが、
好きなことをしようという本当の理由なのかもしれない。
「好きなことを仕事にしよう」のワナ
ここで、一つだけ、僕が「好きなことを仕事にする」ということについてのワナをお伝えしておこうと思う。
好きなことを仕事にしようと思い続けてよい人間は、
起業して、自分がオーナーとしてやる人間だけである。
サラリーマンを始めとした、雇われの人間が好きなことを仕事にしようと思うと、
現実との差に心身を病んでしまうはずだ。
それもそのはず、
オーナーはあなたに対して、好きなことをさせるために雇っているわけではなく、
利益を追求するために雇用をしているからだ。
近年の傾向で、
就職活動や転職活動においても、
好きなことをしようという風潮があるし、
無意識に企業もその動機を聞いたりする。
しかしながら、企業はあなたに好きなことをやってもらう理由が存在しない。
そんな企業において、
好きなことをさせて欲しいというのは、たんなるわがままであるし、
通用するはずがない。
それは、現実を知らなすぎるというものだ。
好きなことを仕事にする決意と道のり
好きなことを仕事にして幸せになろうと決意するのであれば、
あなた自身が
好きなことを仕事にするのにふさわしい人間にならなければいけない。
それが、好きなことに対する礼儀だ。
甘くはない
それは、冒頭の話によって、
嫌というくらいお伝えさせていただいているので、
もう必要ないと思うが、
そういうものだ。
好きなものと心中するくらいの気持ち。
それが、
他にも好きなことで生きたいと思っている人に対して、
それでも優位性を保ち、好きなことで生きていくということに対しても
感謝と敬意なのだと、私は考えている。
カテゴリーVision